江刺甚句の歌詞

 200年とも700年ともされる江刺甚句の歴史の中で、歌も踊りもさまざまな変化を伴ったことは容易に想像できます。現在の江刺甚句まつりにおいては、25歳年祝連が男女向かい合わせになって踊る「組甚句」と、まつりのいたるところで、そしてパレードでも踊られる「行進甚句」の2曲がいわゆる「江刺甚句」として伝承されています。
 このサイトでは、第1回江刺甚句まつりの時にアレンジされ「行進甚句」と呼ばれていている「江刺甚句」を紹介します。

江刺甚句
一、甚句踊りは かどまで来たや (チョイサノサッサ チョイサノサッサ)
  じいさま出てみろ アリャ孫つれて (チョイサノサッサ チョイサノサッサ)

二、この家座敷は めでたい座敷 (チョイサノサッサ チョイサノサッサ)
  鶴と亀とが アリャ舞い遊ぶ (チョイサノサッサ チョイサノサッサ)

三、甚句踊らば 品良く踊れ (チョイサノサッサ チョイサノサッサ)
  品の良いのを アリャ嫁にとる (チョイサノサッサ チョイサノサッサ)

四、めでたうれしや 思ふことかのうた (チョイサノサッサ チョイサノサッサ)
  四つのすみから アリャ黄金わく (チョイサノサッサ チョイサノサッサ)

五、甚句踊りの 江刺の里は (チョイサノサッサ チョイサノサッサ)
  味がじまんの アリャ米どころ (チョイサノサッサ チョイサノサッサ)

「江刺甚句」追記

 伊達藩(宮城県宮城町大倉)の「定義あいや」から派生したのではないかと言われている江刺甚句ですが、南部藩の「なにゃとやら」から派生した「秋田甚句」の素朴なものが南部領に再移入、江刺に入ったものが「江刺甚句」になったという説もあります。
 この唄を全国に紹介したのは昭和初期に大活躍した赤坂小梅(1906-1992)で、この地を訪れて甚句を覚え「江刺甚句」の名でレコードに吹き込みました。